2019年の台風19号で決壊の恐れがあるとされた荒川。
東京においての荒川というと荒川区がヤバイ的に思われがちですが、実は荒川区は荒川に接していないという状況は、知る人ぞ知る事実。
結果として、荒川は都心部においては、決壊することなく大きな被害はありませんでした。
もちろん、隅田川も氾濫することなく無事でした。
実は、この水害に強い街づくりは、遡ること106年。その頃の計画された荒川放水路の結果としての安全だったとも言えるかもしれません。
この100年以上前の計画が、荒川区に荒川がない理由であり、台風19号をも無事で免れた理由とも考えられます。
その秘密に迫ってみたいと思います。
荒川区に荒川が接していない理由
地図を見て分かるとおり、荒川区に接しているのは、「隅田川」で荒川は足立区を流れています。
昔は、現在の隅田川が荒川であった為に、荒川区となっていました。
ではなぜ、現在は隅田川になっているのでしょうか?
1910年(明治43年)に長雨と台風が重なり、当時の荒川(現在の隅田川)や多摩川が氾濫するなど甚大な被害が発生しました。それを受けて、根本的な水害対策として、翌1911年(明治44年)に荒川放水路の建設を決定しました。
荒川に流れる水量の分配図を見ると次の図のような概念になります。
そのまま隅田川に流れるのではなくて、新たに建設する人工河川の荒川放水路に多くの水を流す計画となっています。
荒川放水路を地図で見てみると次のとおりになります。
つまり、現在「荒川」と呼ばれているところが、「荒川放水路」という名の新たに水害対策として作った川です。
荒川区が制定されたのは、1932年であり、区内を流れる川は荒川と名付けられていました。その当時は荒川区には荒川があったのですが、1965年に荒川放水路が「荒川の本流」と決められました。
その結果、荒川を流れていた荒川は、墨田川と正式決定されて、現在に至ります。
これが、荒川区に荒川が流れていない理由です。
岩淵水門の活躍が凄い!
先程の分配図を見て岩渕と書いてあります。
この岩渕とは、上流の荒川から隅田川に流れる通常の流れと荒川放水路へ流れる流れを調整する役割を持っているのが岩渕水門です。
通常は、岩渕水門の水門は空いているのですが、台風19号の時は水門が閉められました。その結果、隅田川は氾濫することがなかったわけです。
図で解説すると以下のとおり。
隅田川が氾濫するのを防ぐ為に、隅田川への流れを水門を閉じて流れを止めます。その結果、隅田川は氾濫せずに、より多くの水量を流せる荒川放水路へ水を流していくことになります。
(上記画像出典:荒川上流河川事務所)
2019年10月13日の岩渕水門が閉じられている様子です。
荒川、岩渕水門くんたち。水害から守ってくれてありがとう。 pic.twitter.com/mRxtvRPQNq
— ムテッコウ (@ykrtpr2) October 13, 2019
荒川ヒタヒタになってるけど、溢れなかった。良かった。左の岩渕水門が閉まるのは1982年にできてから6回目らしい。 pic.twitter.com/4auPlBQb0S
— めかぶ (@mekabumoroheiya) October 13, 2019
このように100年以上前に起きた災害の経験を基に、都市部の安全が守られていると感動を覚えます。
岩渕水門の様子を見に、多くの方が、台風19号の翌日2019年10月13日に現地に訪れています。そして、この水位をコントロールしている方々達には本当に頭が下がる思いです。
台風19号の翌日2019年10月13日の荒川の様子
岩渕水門よりも下流の荒川の様子の写真です。
荒川放水路というだけあって、まだ余裕はありそうでしたが、野球場やトイレなどの施設は水没していて、河川敷がなくなっていました。
台風19号翌日の荒川(足立区)の写真です。
はじめて、川がつながっているのを見ました。毎年恒例のタートルマラソンが翌週にあったのですが、残念ながら中止とのこと。復旧するまでは時間がかかりそうです。
荒川にかかる橋の部分では、低いところもありわりとギリギリでした。
ここからの氾濫の可能性も考えるとまだまだ課題は残りそうです。
とは言え、荒川のスーパー堤防の建設など、今後も水害対策は強化されています。
政府は「防災減災」を掲げて、災害に強い街づくりをしています。
普段は正直あまり意識することはなかったのですが、台風19号を経て、多くの尽力があって街の安全が保たれているのだなと実感することができました。
今後の都市計画や防災計画も注目していきたいと思います。